九州にて

         私達夫婦が離婚しても子供達は、ヒロパパの家へ行き来

     していた。ヒロパパの実家は熊本で簡単に行ける場所で

     はないが、生まれてから保育園の年中さんまでヒロは

     育った。初孫という事もありヒロパパの両親にはとても可

     愛がってもらいヒロも大好きだった。

     離婚後数年してじいちゃんが亡くなった。子供達も駆けつ

     け帰って来ると色々な話を聞かせてくれた。

     ヒロはばあちゃんに頼んでじいちゃんの形見(指輪)を頂い

     てきた。

     じいちゃんコーナーを作りお水を供え大事にしていた。

     私も両親にとても良くしてもらったので手を合わすことがで

     きないのは心苦しく、その事をヒロとよく話していた。

     私は疎遠になっていたがヒロがICUに入ってからヒロパパ

     のお兄さんとばあちゃんは何度も九州から来てくれた。

   
         そして息を引き取る時もばあちゃんが来るのを待っていたかのように・・・

     2010年、念願のお墓参りをするために九州へ行くことができた。これもきっとヒロが導いてくれたと感謝している。長年の胸の

     つかえがとれた。

     二日目にお兄さんが長崎の温泉に宿をとってくれており、ばあちゃん、お兄さん、ヒロパパ、エリ、私の5人で行った。フェリーで

     長崎まで行くのだが、まだ少し時間があるので昼ご飯を食べようということになり、熊本港にあるレストランに入った。レストラン

     の横におみやげコーナーがあったのでちょっと見てから席の方へ行き座った。

     ウエイトレスさんを呼んで5つ注文をするとその人が
「・・・もうひとつは?」と言うので「??5つ言いましたよね??」と私。

     
「あれ?6名様じゃないですか?」と言いながらお冷も6つ持ってきてあった。

     
・・・・ヒロだぁ〜!あの人視えるのかなぁ・・・絶対一緒にいるとは思っていたけど・・・なんだか嬉しくなった。

     
あ〜やっぱり一緒にいるね。いないはずがないよね。ヒロが私を九州に連れて来てくれたんだもんね。・・・・ありがとうね。

     みんな納得していた。


         

長崎に着き部屋の中で撮った写真にオーブがたくさん写って

いた。

一度は切れた糸。ヒロがまた繋いでくれたね。




 みんな仲良く・・・
         



 フェリーについてくるかもめ            遅くなってごめんね               浴槽の所にオーブ




                  

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