病気の事

 
入院した頃

ヒロが息を引き取る4ヶ月半前、7月の暑い日だった。
   
黄疸に気づいた。いや、きっともっと前から体の変調は
あっただろう。

・・・・気づいてあげれなかった。本人も何も言わなかった。

即、入院だった。肝臓の治療が始まる。
あらゆる治療をするが、なかなか数値が下がらない。
ヒロも検査データーをファイルし薬もちゃんと飲んで頑張って治そうと努力していた。

血液検査では、原因が一切わからなかった。後は、細胞検査だが血が止まりにくくなっている息子はそれ以外の検査はできなかった。

入院から3か月が経っていた。

担当医から「長期戦になると思うから、一旦退院して通院にしよう」と言われ退院した。 

入院中からずっと微熱があり、声は蚊の鳴くような声で、生気がなく家に一人置いて仕事に行くのはやりきれなかったが休んでもいられないので仕事に行っていた。仕事から帰って聞くとやはり38度前後の熱がある。食欲もない。

怖くて担当医に連絡し診察に行った。また即入院。退院して4日後だった。

3か月の入院の点滴で針が刺さらない。5回位刺し直し謝る看護師に「いいよ」と笑顔を見せる優しい息子がいじらしかった。

とうとうベテランに代わった。
(もっと早く代わってくれたらいいのに)と思う私・・・・

レントゲンの結果、肺炎をおこしていてすりガラス状に曇っている。普通の肺炎じゃないとと言われた。「万が一人工呼吸器が必要になるかもしれないのですぐに救急車で設備の整った病院に転院しましょう」と・・・
 
                    (えっ?そんなに悪いの?だって退院したばっかり・・・)

何が何だかわからない。ヒロは入院が長かったせいもあり担当医を信頼していたので
転院するなら家に帰ると初めて少しだけわがままを言った。
それでも「戻って来てもいいからとりあえず今は行こう」と
諭され救急車に乗った。

       

                        

  転院した後


転院先の病院に着いて医者から「すぐに人工呼吸器をつけますが、そのまま意識が戻らない場合もあるので、会わせたい人に連絡して下さい。」と言われた。

娘と私は耳を疑い泣きながら連絡した。
今、目の前の現実を受け止めることができなかった。私と主人は8年前に離婚していて子供達は父親とも会っていたが、私達は8年ぶりに再会した。

ICUはいくら危ない状況でも親でも面会時間しか病室に入ることができない。
その日から私、娘、ヒロパパは、仕事も休ませてもらい、2台の車での駐車場生活が始まった。
駐車場は有料しかなく2日で5千円かかった。


自宅まで30分かかるため何かあったらと思うとそこから離れる事ができないでいた。
私の弟が自分の車と交換してくれ、ベッドや目隠しをつけて足を伸ばして寝れるようにしてくれた。
姉が毛布や栄養ドリンクや着替えなどを持って通ってくれた。
友達が家に残してきているワンちゃんのごはんを毎日あげに行ってくれていた。
本当に有難かった。


その時ヒロの体は、3つもの肺炎にかかっていた。普通の人は免疫力があるのでかかる事のない肺炎・・・
カリニ肺炎、サイトメガロ肺炎、細菌性の肺炎。



やはりどれだけ検査してもわからない。
血小板も足りないから輸血も何度も何度もした。

治療は原因がわからず今できる処置をしていた。

意識のないヒロの枕元で大好きだったEXILEのCDをずっと流した。

そして10日後目覚めた。きっと目覚めてくれると信じていた。

目覚めてすぐ、私達の仕事の事と入院費の事を心配をしていた。自分は苦しいのに・・・
手も足も動かすことができない。
腎臓の機能も悪くなり透析もした。つらそうだった。
震えるヒロの手をお守りをはさんで握ってあげる事しかできない。

痛がる息子の手や足をさすってあげる事しかできなかった。

朝、毎日3人で病院の近くの神社にお参りに行った。

友達が来てくれても面会を拒んだ。見せたくなかったのだろう。
親子3人といつも一緒にいた私の弟だけが毎日時間が許す限り付き添っていた。

ICUにいる間の1か月半泣き言ひとつ言わず頑張っていた。そんなヒロでも一度だけ
「もうダメかもしれん」と言った。そんなわけない、頑張れとしか言えなかった。

1か月半の間、医者から4回説明があった。2回まで「どんどん悪くなっている。いつ亡くなってもおかしくない状態です。」と言われ、そのたびに血の気がひき、どん底に落ち、車の中で泣いた。3回目だけ「だいぶ良くなってきている。」と言われ、人工呼吸器は弁をつけたまま酸素マスクに変わって回復のきざしがみえてきた。

でも次の日また呼吸器に変わっていた。

ある日、口から血をふいた。看護師さんは「傷口の血が口にたまっていたんだと思うけどね〜。」と言ったが不安だった。1か月も前に気管切開した傷の出血が今だ止まらない。
その夜、ヒロパパだけを病室に残し何かを言おうとした。口パクなのだがとてもわかりにくい。口を動かすとのどの所の傷口から血が出るのでヒロパパは見るに見かねて「血が出るから今日はもう寝ろ。明日ゆっくり全部聞いてやるから。」と言った。


次の日、駐車場にいると携帯が鳴った。毎日毎日電話が鳴らない事だけを祈っていたがとうとう鳴った。病院からだ。胸騒ぎがした。「息子さんの容態が急変しました。すぐ来てください。」と言われ、全力疾走でICUに向かった。
「取戻しましたのでそこで待ってて下さい。」と言われた。
血の固まりが気管につまり窒息しそうだったのだ。


何度もいつ亡くなってもおかしくないと言われ、それでもこうして生きてる、医者は大げさに言うんだと家族で言いながらもこの時だけは、うそでしょ・・と思った。

だが、意識は戻らず、次の日「今日息子さんは亡くなります。」と言われた。

何でそんな事わかるの?ウソでしょ?今までそう言われても頑張ってるじゃん!生きてるじゃん!


「会わせたい人に連絡して下さい。」

しばらくしてみんな駆けつけた。ヒロパパの母や兄弟も九州から駆けつけてくれた。
ヒロの息子(離婚してしまったが当時6歳)と元奥さんも駆けつけてくれた。

意識はなくてもばあちゃんの言葉にヒロは涙を流した。

声はちゃんと聞こえていたのだろう。

呼吸がだんだんおかしい。吐いてもなかなか吸わない「ヒロ!なんでー!なんでおかん置いていくの!なんでー!」私は顔をさすりながら「なんでー!」という言葉しか出てこなかった。

呼びかけに3回息を吹き返したがとうとう息を吸わなくなってしまった。

愛する子供の息絶えていく姿を見る・・・こんなに苛酷なことがあるのだろうか・・・
私が子供達に見守られながら逝くはずだったのに・・・


大事な愛しいヒロは病室に入りきれない人達に看取られ天国へと旅立っていった。
その顔は、穏やかで、やり遂げたよ、と言わんばかりの微笑さえ感じられる最後だった。

悲しむ間もなく医者から私達家族は呼ばれた。
「息子さんの病気は、この病院始まって以来初めてです。データーもありません。この若さでこのスピードで・・・・ありとあらゆる検査をしましたが原因がわかりません。血が止まらないので細胞検査はしていないので、病名解明と今後の医学のためにも解剖をされませんか?」と言いました。そこで娘が「解剖したら100%わかるんですか?」と聞いたら「100%とは言えません。わからないかもしれません。」と言われた。

私達家族は丁重にお断りした。あの穏やかな顔を見たら体にメスをいれる事はできなかった。3人できれいに体を拭いてあげた。

ヒロの声が聞こえてくるよ・・・・・

「おっかぁー!俺がんばったよね!」

          
痛かったね。苦しかったね。よく頑張ったね・・・・


  
病院から地元の会館へ棺が運ばれた。夢を見ているの?

夢なら早くさめてほしい・・・

テレビで見るようなシーン・・・信じられない。

友達も身内もみんな来てくれた。ヒロのそばにいたいのに喪主の私は、いちいち呼ばれ

てしまう。仕方のないことだが・・・

写真やいろいろなものを取りに行かなくちゃいけない。家に入るのが怖かった。

大人になってからの写真がなかなかなくて、友達や長い間お世話になっていたお店

のアルバムなどかき集めた。

ヒロは写真を撮るときいつもまともな顔をしない。

ふざけた顔の物ばかり。そんな中一枚だけ普通に映っている写真がありそれに決めた。

そして、愛用していたユニフォーム、グローブ、ボールを詰め込んだ。

JAの方に、お見送りはこれをかけてほしいとEXILEのCDを渡した。

「道」という曲。うちは家族みんな好きで、ライブに行ったりもした。


ヒロはカラオケで歌い、家ではDVDを見て、車で聞いて・・・

とにかく大好きでその中でも「道」が好きだった。

別れと旅立ちの歌なので皮肉にも内容がその時にピッタリだった。
 



通夜の日の昼頃、ヒロと二人の時間があった。

褒めてあげた。謝った。お礼を言った。冷たくなった顔を撫でながらいろんな話をした。

通夜では、最初から最後までずっとEXILEのバラードアルバムをかけて下さった

長蛇の列、たくさんの方が来て下さってみんな泣いてくれていた。

ヒロはお母さんの知らないところでこんなにもたくさんの人達に愛されていたんだね。

すごいね。

ヒロが恥ずかしくないようにお母さん、来てくれた人達にちに失礼のない様に頑張るね。

悲しさの中そんな心境だった。

入口にはヒロのメモリアルコーナーができていた。

入院中みんなで折った千羽鶴、見る事ができなかった寄せ書き。

愛用のグローブや卒団の時頂いたMVP賞の賞状など色々飾られていた。

通夜でヒロの小さい頃からの写真に言葉を入れて作って下さったDVDが

EXILEの曲と共に流れた。

スタッフの方が映像を流そうとするが、少し映っては切れ、また映っては切れを

繰り返し何回目かでやっと流れた。

(ヒロ恥ずかしかったのかな・・・)

通夜が終わり孫が一人で棺の中のヒロを見ている。何を思っているんだろう。

そしてお別れの時、ヒロが愛したたくさんの物を棺に入れた。

「道」の歌のように真っ青な空だった。

通夜、葬儀の日は、友達が頑張ってお手伝いしてくれ、たくさんの人に連絡もしてくれた。

300人以上の方がお別れに来て下さった。

お焼香台がだんだんと多くなっていった。

お別れに来て下さった方々・・・

お手伝いして下さった方々・・・

心を込めて千羽鶴を折って下さった方々・・・

お見舞いに来て下さった方々・・・

親切に色んな事を教えて下さったJAの関さん・・・


    全ての方に心から感謝しています。

    ヒロを愛して下さって
     ありがとうございました。
 




家族はもちろんたくさんの方が千羽鶴を
心を込めて折って下さった。
車の中で娘と糸を通し病室に持っていくと
ヒロは「すげぇ〜!」とくちパクで言って
目を真んに丸にして驚いていた。



   
                      
   

     

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